尾張名所図会を巡る

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2009年 02月 26日

亀足山正覚寺(きそくざん しょうがくじ)

『尾張名所図会』の正覚寺    正覚寺の歴史的な位置
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 伝馬町の今道にあり、浄土宗西山派の寺院で京都禅林寺・光明寺の両末で、尾張三檀林(曼陀羅寺・祐福寺・正覚寺)の一寺である。正覚寺は永享六年(一四三四)に融伝永乗和尚(ゆうでんえいじょうおしょう)が創建した。
 融伝は部田(へた 現在の東郷町)の祐福寺(ゆうふくじ)で住持していた時、熱田神宮に何度か参宮していた。そのある時、鈴の宮(れいのみや)の側で、老翁に出会った。その老翁は神職で名を粟田城太夫(あわだじょうだいふ)という。その老翁は、この地を融伝に寄付するので、精舎を建立して衆生を救って欲しいと願い出た。ところが、すぐにその老翁は行方が分からなくなった。翌日、粟田城太夫の家に行って昨日の話をしたのだが、昨日の老翁とは全くの別人であった。しかし、融伝からその話を聞いた粟田城太夫は、大神からのお告げであると思い、その地主の元に行き、その話をすると地主も話を理解して、その土地を融伝に託した。それより堂宇を造立して融伝が住職となった。その後、融伝は永享九年四月十一日に遷化する。
 また、ある時、融伝が祐福寺から熱田神宮へ向かう途中、鳴海山を越えようとした時、狼が一匹現れ、大きな口を開けて融伝に迫った。よく見ると狼は喉に物を詰まらせていた。融伝は狼の口に手を入れて、詰まっている物を取り出すと、角のある骨であった。狼は喜んで、尾を振り融伝にお礼を言って去って行った。また、夏の暑い日に鳴海山を越える時、喉が渇いたので錫杖で地面をたたくと、綺麗な水が湧き出てきた。これは今でもあり融伝泉と言われている。そのためこの土地の者は、融伝の徳の高さをたたえ、感謝している。
 本尊 阿弥陀立像 脇壇に十一面観音・地蔵尊を安置する。鎮守 氷上神社。
 本堂の側らに「亀足井」がある。融伝が神勅によってここを掘ると大きな亀の足が出てきた。これが山号の由来で、その時の井戸でもある。塔頭は五院あったが、現在は真乗院と慈眼寺だけである。
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 融伝和尚狼の故事   『小治田之真清水』


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 この碑は享保十三年(一七二八)に融伝の遺徳を偲んで立てられた。碑には「愛知の東麓 瑟彼の泉にあり 神の助ける所 民、賜を受く 刺山標を異にし 卓地賢を稱ふ 吾が師をして愧しめず なお耕田に漑ぐ」(原漢文)とある。
 融伝泉の碑 案内板より                     融伝泉の碑の位置


 

『名古屋市史』には次のようにある。
 正覚寺は正壇林にして一等で粟生(あお)の光明寺の末寺である。永享六年六月に融伝永乗によって創建された。九月には後花園天皇より勅願の綸旨と弥陀三尊の図像を賜った。永禄二年十一月、正親町天皇より勅願の綸旨と白銀十枚を賜った。その後、七世の大融仙恩の時に尾張三檀林となった。
 本尊は木像の阿弥陀如来立像。堂宇は、本堂、書院、玄関、庫裏、宝蔵、鐘楼、所化寮、大衆寮、茶寮、小座敷、倉庫、中門、総門、十王堂、鎮守堂(氷上神社)、稲荷堂である。
 塔頭は、定泉院、明鏡院、心叟院、真乗院(開山は融慶玄作)、蘭崇院、慈眼寺の七所である。残ったのは真乗院、蘭崇院の二院である。


『張州雑志』の亀足井と氷上神社
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現在の正覚寺    正覚寺の位置
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稲荷殿
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 現在、正覚寺は西山浄土宗の壇林である。熱田は、浄土宗でも西山派(光明寺(西山浄土宗)・永観堂(禅林寺派)・誓願寺(深草派))の寺院が多い地域である。現在、熱田にある西山派の寺院は光明寺末か永観堂(禅林寺)末となっているが、以前はこの正覚寺の末となっていた。すなわち、この正覚寺は熱田の西山派を統括する重要な寺院であったと言う事である。現在も西山浄土宗の壇林として、格式のある寺院であるが、国道1号線や都市開発の中で、以前のような大伽藍は姿を消した。なお、『史跡 あつた』の中に民話的伝承として上の稲荷殿に関すると思われる、「正覚寺の稲荷の話」というものを取り上げているが、内容が記されていない。どなたかご存じの方は、ぜひご教示願いたい。



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 正覚寺の塔頭で唯一残った真乗院
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by nitibotuM | 2009-02-26 21:40 | 尾張名所図会 | Comments(0)


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