松本城を後にして、車で数分の所にある旧開智学校を訪れた。旧開智学校には専用の駐車場があるので車で行っても問題ない。
この校舎は明治8年(1875年)4月に着工し、明治9年(1876年)4月に完成した。また、工事費は約1万1千円で、当時の大工日当が20銭、権令(県知事)の月給が20円という時代においては極めて高額だったといえる。
明治時代はそれまで続いた江戸時代の封建制が崩壊して、四民平等、富国強兵という政策のもと近代化が進められた。そういう時代背景の中で急速に地方にまで近代化が進んでいった歴史をこの残された建物からも伺うことが出来る。片やその一方で、先に見た松本城は封建制の崩壊によって、売却、解体という危機にさらされ、一時は老朽化がかなり進んだ。
確かにそれは時代の転換点やその時代性であって、淘汰されたのは必然の結果であったと言ってしまえばそれまでではある。しかし、大きく価値観の変化する時代において、我々が流されぬ価値観を持ち続けることの難しいことを示しているかのようである。
幸いにも松本城は残った。そして今、封建制と近代化という相反する価値観の中で建てられた建物が対峙するかのように現存していると言うことは実に意味のあることではないだろうか。
本日、最後の観光地である旧開智学校を後にして、宿泊地である
明神館へと向かった。
旧開智学校(2013年7月25日)曇りのち晴れ
撮影位置
隣接する旧司祭館