尾張名所図会を巡る

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2010年 04月 11日

亀服山 聖徳寺(きふくざん しょうとくじ)

『尾張名所図会』の聖徳寺   
 須賀浦(すがうら)の太子町にあって、浄土宗西山派の寺院で、正覚寺の末寺になっている。永禄七年(一五六四)の開基である。この辺りに住んでいた漁人助太夫という者が、文禄四年(一五九五)九月二十九日の夜に、網を海底から引き上げると、十六歳の頃の聖徳太子の像が揚がった。この像を太子堂に安置し、当寺の寺号とし、この町の名前となった。本尊は阿弥陀坐像。



歴史的な聖徳寺の位置
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分かりにくいが左半分の中心



『名古屋市史』には次のようにある。
 永禄中に得然了益の創建で、文禄中の二世、等譽が太子堂を造営し、聖徳太子の像を安置した。この時、寺号を改めた。(以前の寺号は分かっていない。)太子像は弘法大師作と伝わっている。毎年、一二月の朔日(一日)から七日まで別時念仏を厳修する。



現在の聖徳寺    聖徳寺の位置
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 現在は正覚寺の末寺ではなく浄土宗西山禅林寺派の寺院である。『尾張名所図会』に山号が「亀服山」とあるが「亀腹山」が正しい。また、『名古屋市史』に「富江町に在り」とあるが、誤りであろう。
『尾張名所図会』などにあるように漁夫が引き上げた聖徳太子の像が寺号の由来で、聖徳太子の像高は87㎝ということである。また、『張州雑志』に、この像が16年に一度しか厨子から出ることがないとあり興味深い。
 『熱田区誌』に、昭和20年3月12日の大空襲で太子堂と本堂が焼失したが、その時、太子像に「元弘三年(1333)九月三日重兼」の銘文が記されていることが分かったとある。「重兼」は地侍であったらしい。
 また、寛永2年(1625)に犬山城主の成瀬氏が隣地に建立した常夜灯の管理を任され、永代灯明料として、田地50畝を寄進された。そして、承応3年(1654)に常夜灯が現在ある付近に移動すると、その管理は宝勝院に移った。
『張州雑志』 『熱田区誌』 『史跡 あつた』 教育委員会 案内板より
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by nitibotuM | 2010-04-11 20:48 | 尾張名所図会 | Comments(0)