尾張名所図会を巡る

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2009年 03月 23日

年魚市潟(あゆちがた)

『尾張名所図会』の年魚市潟
 愛知郡の海辺(現在の名古屋市熱田区から南区)のことを年魚市潟と呼んでいるが、古歌には知多の浦や氷上(現在の緑区大高町)あたりも含まれている。したがって、年魚市潟は熱田から知多のあたりまでを含むことになる。年魚市潟が紀伊国の名所とあったりもするが、『日本書紀』をみると年魚市はここの地名であることは確かである。



現在の年魚市潟(名古屋市熱田区伝馬町)
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 年魚市潟は熱田区から緑区の範囲に広がっていた遠浅の海岸線のことを指していたと思われる。しかし、現在、年魚市潟と呼ばれていた範囲は新田開発などによって陸地となっている。この年魚市潟は『万葉集』に「年魚市潟 潮干(しほひ)にけらし 知多の浦に 朝こぐ舟も沖に寄る見ゆ」とあり、その歴史は古い。この「年魚市(あゆち)」は「愛知(あいち)」の語源になったと言われている。また、熱田(あつた)の語源も年魚市潟(あゆちがた)が由来であるとする説もある。



年魚市潟勝景跡の碑(白毫寺)     眉間山白毫寺の位置
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 白毫寺から現在は全く海は見えはないが、古代、このあたりまで海岸線が来ており海が見渡せたと思われる。また、『万葉集』には、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が現在の名古屋市南区桜本町あたりの年魚市潟で詠んだと思われる歌も残されている。(上知我麻神社を参照)
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# by nitibotuM | 2009-03-23 20:30 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2009年 03月 22日

浜常夜灯(はまのじょうやとう)

『尾張名所図会』の浜常夜灯
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 渡船場の岸にあって、夜に船が着岸する時の目印となっている。この常夜灯は、寛永二年(一六二五)に成瀬隼人正正房が父の正成の遺命によって建立したものである。その時、常夜灯の永代の灯明料として須賀浦太子堂(熱田区大瀬子町の聖徳寺)に田地を寄付したが、その後、故あって神戸町の宝勝院へ田地を譲り、今はこの宝勝院が管理を任されている。


浜常夜灯の歴史的な位置       『尾張国町村絵図』「熱田」の一部
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分かりにくいが左下に小さくある。


『名古屋市史』の常灯明
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『張州雑志』の常夜灯
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現在の常夜灯    常夜灯の位置
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 聖徳寺の隣地にあった常夜灯は承応3年(1654)に現在あるあたりに移され、宝勝院の管理となった。寛永3年(1791)に民家からの火災による類焼で焼失したが、同年、成瀬正典によって再建された。その後、この常夜灯は荒廃していたが、昭和30年(1955)に復興され、現在は宮の渡し公園で見ることが出来る。
 江戸時代からこの常夜灯はあったのだが、当時は夜間の航行が禁止されていたようである。
『熱田 歴史散歩』 『史跡 あつた』より
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# by nitibotuM | 2009-03-22 20:12 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2009年 03月 21日

間遠渡(まどおのわたり)

『尾張名所図会』の間遠渡
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 この熱田宿の湊から伊勢の桑名までの七里を船で渡る。壬申の乱で天武天皇(大海人皇子)が東国に逃げるため伊勢から尾張へと船で渡った時、遠く時間が掛かったので「間遠」と名付け、それが今に伝わったものである。しかし、この海上七里の船旅は尾張と伊勢の美しい景色が続き、遠さを感じさせない。



現在の間遠渡
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 間遠渡は「七里の渡し」、「宮の渡し」などとも呼ばれ、東海道としてこの船着場が始まったのは元和2年(1616)だといわれている。また、この湊の管理は船奉行を兼ねた熱田奉行が行い、その配下の船番所が厳しく旅人を監視していた。『尾張徇行記』に「船番所ハ御関所同前ナレバ」とあり、当時の監視の厳しさが分かる。
 ちなみに文政8年(1825)の船賃は、乗り合い1人の場合68文だったそうである。そして、船旅の所要時間はおおよそ4時間前後であった。
『熱田 歴史散歩』 『史跡 あつた』より



東海道七里渡青鷺川旧碑     の位置
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# by nitibotuM | 2009-03-21 20:45 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2009年 03月 20日

ヤマガラ

ヤマガラの水浴び2
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# by nitibotuM | 2009-03-20 18:45 | 花鳥風月 | Comments(0)
2009年 03月 19日

熱田潟(あつたがた)

『尾張名所図会』の熱田潟
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 和歌に熱田の潟、尾張の潟と詠まれている。



『名古屋市史』には次のようにある。
 熱田湾は、名古屋湾と呼ばれるようになった。もとは熱田潟、熱田の浦、熱田の海、尾張の海とも言われた。享禄のころまでは上知我麻神社あたり(現在の「ほうろく地蔵」の場所)までが海であった。その後、次第に築地して、今のようになった。須賀、大瀬子、東脇の三浦である。



現在の熱田潟
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 江戸時代を通じて多くの新田開発がなされ、熱田潟の地形は大きく変わった。以前あった精進川が大正15年(1926)に埋め立てられ、新たに新堀川となるなど、明治以降も国道の開通や都市開発の中で大きく変化している。現在は宮の渡し公園に「時の鐘」と「常夜灯」が復元され、当時の面影を残している。
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# by nitibotuM | 2009-03-19 19:49 | 尾張名所図会 | Comments(0)