尾張名所図会を巡る

nitibotu.exblog.jp
ブログトップ

<   2012年 05月 ( 10 )   > この月の画像一覧


2012年 05月 31日

三狐神社(さごじのやしろ)

『尾張名所図会』の三狐神社
 表大瀬古(おもておおせこ)にある。俗に平親王将門の霊を祭るという。

三狐神社の歴史的な位置    『尾張国町村絵図』「熱田」の一部
e0170058_1723526.jpg
 中央に小さなピンク色が二箇所並んでいる左側が「三狐神社」と推測。



大瀬子(古)の歴史的な位置
『名古屋市史』地図「(一〇)熱田三ヶ浦町並の図」の一部
e0170058_17284653.jpg
 三狐神社の位置は示されていない。



『名古屋市史』には次のようにある。
 社宮司社(三狐神祠、社宮祠)の詳しい勧請の年月は分からない。明治30年頃村社に列する。祭神は高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、平親王将門の首、猿田彦命(さるたひこのみこと) などと言われている。俗に導引(みちびき)の神といい、諸願成就の時は、底のない柄杓を供える。今、社前に吊された柄杓がたくさんある。例祭は旧6月20日で、竜宮の画のある提灯の屋形11基を出す。古来、町の支配にあって、熱田神宮の末社ではない。




現在の三狐神社(社宮司社)    三狐神社(社宮司社)の位置
e0170058_1811766.jpg
e0170058_18111784.jpg
 三狐神社(さごじのやしろ)は「しゃぐじしゃ」ともいい、現在は社宮司社(「しゃぐじしゃ」『名古屋市史』は「しゃくししゃ」)となって須賀町にある。読み方を見ても異説が多い。祭神に関しても混乱しているようで、いつしか、この社の所を流れていたという扇川に架かる扇の橋(米かみ橋)の話と結びついて、平将門の怨霊を鎮める為の社という伝承になったのであろう。現在は、向かって右から軻具突智社(かぐつちしゃ)、社宮司社、天王社となっている。
 ちなみに当社は昭和27年に現在の位置に遷座している。元の位置であるが、『尾張国町村絵図』と明治36年の『熱田築港図』と現在の地図を見てみると、下の写真の位置のあたりだと思われる。歴史的な地名は、「表大瀬古の字西ノ地」になる。
e0170058_194144.jpg

[PR]

by nitibotuM | 2012-05-31 19:14 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2012年 05月 30日

海洞山興徳寺(かいとうざんこうとくじ)

『尾張名所図会』の興徳寺
 須賀町にある。浄土真宗大谷派で、三河針崎の勝鬘寺の末。堂宇は大変美麗で、古渡の掛所(東別院)が出来る以前は、門主が東行の際はこの寺で止宿することもあった。

本尊は聖徳太子作の阿弥陀如来
什宝に親鸞聖人真筆の紺紙金泥(こんしこんでい)十字名号、蓮如上人の虎斑(とらふ)六字名号など数点

 
興徳寺の歴史的な位置


『名古屋市史』には次のようにある。
 もとは愛知郡本願寺村にあって天台宗であった。天福元年(1233)住僧の順信が親鸞聖人に帰依して改宗した。後に牛立村に移り、そして、今の地に移った。(嘉吉年中に今の地に移って改宗したともある。)
時の住僧、恵順は俗名を佐久間大膳といった。明治維新後に東本願寺直末となった。岳順(明治19年寂)までは熱田大宮司から毎年年頭の挨拶があった。


『張州雑志』の初霜茶碗
e0170058_19133553.jpg



現在の興徳寺   興徳寺の位置
e0170058_1840319.jpg

e0170058_1637334.jpg
 現在、興徳寺は真宗大谷派の寺院である。『尾張名所図会』などの記載を見ると、当寺は東別院が出来るまで、この地方において真宗(大谷派)の重要な寺院であったといえる。また、『張州雑志』の初霜茶碗は徳川家名付けといわれ、当寺と縁のあった水野惣兵衛が寄付したそうである。この他にも什物があったようであるが、惜しくも戦災で焼失してしまったが、上記の初霜茶碗は現存しているようである。
[PR]

by nitibotuM | 2012-05-30 19:28 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2012年 05月 29日

常滑君屋敷址(とこなべぎみやしきあと)

『尾張名所図会』の常滑君屋敷址
 須賀町にある。水野右衛門大夫忠政の娘。知多郡常滑の城主、水野監物忠綱の妻となったが、剃髪後ここに住んで常滑殿と呼ばれていた。



歴史的な須賀町の位置
e0170058_1640223.jpg


『名古屋市史』には次のようにある。
 其址は今の善福寺町筋と中町筋との間、西側なり


『張州雑志』には次のようにある。
 常滑の総心寺は常滑君の開基である。寺記に法名が向陽院花影綱心大姉とある。



須賀町(常滑君屋敷址)を望む    須賀町の位置
e0170058_1743520.jpg
 常滑君屋敷址は須賀町にあったということであるが、現在、その詳しい場所は不明である。『熱田町旧記』には、今、伊兵衛平左衛門の居宅のところがその場所として伝わるとある。また、『尾張徇行記』には「今町屋ナリ」とある。
 以上のように、常滑君屋敷址の確定的な場所は分からないが、『名古屋市史』の記述の善福寺町筋と中町筋との間は現在も地図から確認できる。ただ、それ以上の詳しい場所は推定しがたい。
[PR]

by nitibotuM | 2012-05-29 17:49 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2012年 05月 21日

金環日食 koneta

名古屋市熱田区からの金環日食。ところが7時過ぎから曇り空。これはダメだと諦めかけたが、金環日食になる数分前に奇跡的に青空。




名古屋市熱田区の金環日食(2012年5月21日)晴れ
e0170058_8305654.jpg
e0170058_83183.jpg

e0170058_834619.jpg
e0170058_8342395.jpg
e0170058_8343662.jpg
e0170058_8344713.jpg
e0170058_835122.jpg
e0170058_8351080.jpg
e0170058_8351722.jpg

D800 1020mm
[PR]

by nitibotuM | 2012-05-21 08:37 | 花鳥風月 | Comments(0)
2012年 05月 19日

元浜公園のバラ

 東海市にある元浜公園のバラ。広い公園に数は多くないがバラの花がある。それぞれに名前が記されていて、種類が見分けやすい。駐車場も広く遊具などもあるので、小さい子供と行っても楽しめる。
 ただ、肝心のバラが少々見頃を過ぎていたのと、風が強かったのは残念。



元浜公園のバラ(2012年5月18日)晴れ    撮影位置
e0170058_1612672.jpg
e0170058_161492.jpg
e0170058_1621382.jpg
e0170058_1622865.jpg
e0170058_1624476.jpg
e0170058_1625546.jpg
e0170058_163660.jpg
e0170058_1631557.jpg
e0170058_1632779.jpg
e0170058_163403.jpg
e0170058_1635293.jpg
e0170058_164631.jpg
e0170058_1642974.jpg
e0170058_1644086.jpg
e0170058_165096.jpg
e0170058_1651115.jpg
e0170058_1652458.jpg

e0170058_1662254.jpg
e0170058_1663258.jpg

[PR]

by nitibotuM | 2012-05-19 16:08 | 花鳥風月 | Comments(0)
2012年 05月 12日

上野台公園のカキツバタ

 東海市にある上野台公園に数は多くないがカキツバタが咲いている。割りと広い公園で駐車場も整備されているし、遊具などもあり子供連れでも楽しめる。訪れた時、カキツバタは綺麗に咲いていたが、風がものすごく強かった。




上野台公園のカキツバタ(2012年5月10日)晴れ    撮影位置
e0170058_6484221.jpg
e0170058_6492530.jpg
e0170058_6494167.jpg
e0170058_6495545.jpg
e0170058_650523.jpg
e0170058_6503750.jpg

e0170058_6513938.jpg
 
e0170058_6504869.jpg
e0170058_6505969.jpg
e0170058_6515661.jpg
e0170058_652712.jpg
e0170058_6521997.jpg

[PR]

by nitibotuM | 2012-05-12 11:34 | 花鳥風月 | Comments(0)
2012年 05月 09日

瑞現山総持院(ずいげざん そうじいん)

『尾張名所図会』の総持院
 田中町にあり。臨済宗で美濃の久々利の東禅寺末。本願人は南部新左衛門光則、法名を春潮等梅という。開山は忠嶽和尚。本尊に地蔵を安置する。



総持院の歴史的な位置(旗屋に移転後、中央に惣持寺とある。)


『名古屋市史』には次のようにある。
 妙心寺の末。浅井源左衛門(寺説には南部新左衛門光則とある。)の開基。開山は忠嶽瑞恕。初め久々利村の東漸寺の末寺、その後、明和四年十一月に名古屋の宝泉寺(現在の徳源寺)の末寺となる。また、文化十三年五月、総見寺の末に十月に自休寺と替え地して、旗屋に移る。文政三年九月、総見寺の隠居所となる。明治維新後は、妙心寺の末。

自休寺の歴史的な位置(自休院とある)


現在の総持院    総持院の位置
e0170058_19122870.jpg

現在は臨済宗妙心寺派で、旗屋町ではなく玉の井町となっている。
 『名古屋市史』の記述は概ね『張州雑志』と『尾張志』と同内容。『尾張名所図会』に「春潮等梅」は『名古屋市史』では「春朝等梅」とある。
 ちなみに当寺が替え地をした自休寺は廃寺となっている。
[PR]

by nitibotuM | 2012-05-09 19:40 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2012年 05月 07日

青衾神社(あおぶすまのかみのやしろ)

『尾張名所図会』の青衾神社
 田中にあり。『延喜神名式』に青衾神社。『本国神名帳』に正二位青衾名神とある。海蔵門(かつて熱田神宮の境内にあった)の外にあった青衾祠は、この社の遙拝所(ようはいじょ)である。末社の新氷上祠が境内にある。



歴史的な青衾神社の位置(中央やや左上)    
e0170058_16194918.jpg



『名古屋市史』には次のようにある。
 祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)、または天野信景(あまの さだかげ)によれば、愛知郡の本居神(うぶすながみ)で、「うぶすな」が青衾になった。さらには天道日女命(あまのみちひめのみこと)とも、津田正生は尾張氏の祖神とされる天香語山命(あまのかごやまのみこと)としている。
 当社を白衾として、白和幣(しらにぎて)に、海蔵門の外の東にあった青衾社(現在はない)を青和幣(あをにぎて)にそれぞれ当てるのは誤りである。(天道日女命は饒速日命の妃 天香語山命は饒速日命と天道日女命の子)




現在の青衾神社    青衾神社の位置
e0170058_17123693.jpg
e0170058_1713151.jpg

 現在、祭神は天道日女命のようである。ただ、『尾張名所図会』では祭神については触れられていないし、『名古屋市史』においても混乱している様子がうかがえる。古来より異説が多くあると言うことであろう。
 また、『名古屋市史』にも若干触れられているが、『熱田町旧記』には当社を「白衾神社」と記している。こういった別名もあったようである。ただ、これに関しては、上記のように『名古屋市史』で否定されているし、『尾張国地名考』で津田正生も漢籍から青龍白虎をもちだして青衾白衾とすることを退けている。さらに、青衾を日魂、白衾を月魂とする説さえ出たが誤りだとしている。
 だが、『熱田 歴史散歩』には、「中秋の名月の日を祭日として、青衾神社祭がとり行われている。」とある。ということは、『尾張国地名考』などでは否定されている月の神に関する祭事が残っていると言うことか。
[PR]

by nitibotuM | 2012-05-07 18:08 | 尾張名所図会 | Comments(0)
2012年 05月 06日

大倉公園のツツジ

 大府市にある大倉公園のツツジを見に行った。午前中は、風も強く曇りがちな天気だったが、午後からは風は残ったが青空になった。
 この大倉公園の近くは、よく通るのだが、割りと近いこともあって今まで行く機会がなかった。連休でずっと家にいる子供もどこかに行きたいと言っているので、こんな時でないとなかなか行けない大倉公園に行くことにした。車で行く場合、駐車場がないようだが、すぐ近くの大府市役所の駐車場が祝日も解放されているようで利用できた。
 ツツジはちょうど見頃でまさに満開であった。なかなか綺麗にツツジが公園に配置され見応えがある。連休中であったが人もそれほど多くなく、近場の穴場としてお勧めできる。


 話は変わるが、このブログは一応、『尾張名所図会』を紹介するつもりで始めたのだが、いつのまにか『尾張名所図会』の更新は滞り、日記のブログと化してしまった(この記事もそうだ…)。
 『尾張名所図会』は膨大な量があるので、とても全部を扱うことは不可能で、熱田の中でも特に「前編の四巻」に限定したのだが、それでもまだ半分ほどしか記事になっていない。一応、史料や写真は手元に整理してあるのだが、これらの史料をまとめて読んで文章化するのに手間が掛かる。というか、怠けているだけだが…。
 ただでさえ素人が適当に史料を集めて、都合の良い箇所だけを紹介し、しかも自分の興味のある記事は細かく調べるのだが、そうでないものは面倒になって省略が激しい。おおよそ学問的なものからはかけ離れている。だが、郷土史は面白い。時代とともに失われたものも多いが、史料の中にある過去の姿を現代に呼び起こして対比することができる。
 郷土史は伝承も多く、ある程度、素人が適当なことを書いても許されるだろうと思っている。幸いにも熱田の歴史は、多くの方が調べてその成果が残されている。そういったものを見ながら、近所を散歩すると触発されて、残りの『尾張名所図会』を記事にせねばと思う今日この頃である。一体いつになるか分からないが、備忘録として残りを完成させようと、意気込んでみる…。




大倉公園のツツジ(2012年5月4日)曇りのち晴れ    撮影位置
e0170058_1949776.jpg
e0170058_19492634.jpg
e0170058_19494078.jpg

e0170058_19504357.jpg
e0170058_19511211.jpg
e0170058_19512214.jpg
e0170058_19514972.jpg
e0170058_1952027.jpg
e0170058_19521134.jpg
e0170058_19522496.jpg
e0170058_19523565.jpg
e0170058_19524414.jpg

[PR]

by nitibotuM | 2012-05-06 19:54 | 花鳥風月 | Comments(2)
2012年 05月 05日

妙光山本遠寺(みやうくわうざん ほんをんじ)

『尾張名所図会』の本遠寺
e0170058_1254931.jpg

 白鳥の南の田中町にある。日蓮宗で京都本遠寺の末。日蓮上人の直弟、九老僧のうちの日證が応安年中に建立し、康暦二年の八月一日に寂した。年は百二十歳ほどであった。勅命により本乗阿闍梨の号が贈られた。紹巴(じょうは)の『富士見道記(ふじみみちのき)』に永禄十年八月七日に法華堂本遠寺で連歌の会を張行(ちょうぎょう)したと記されている。
 本尊 釈迦の木像。脇壇に鬼子母神・日蓮の像、及び十羅刹女・日朗・日證の影像を安置する。昔、日蓮が東国より帰洛の時に、百日読経をしたお堂を法華堂として、熱田御本社の境内にあったのを祠官らがこの地に移して釈迦堂と名付けた。
 客殿 織田信長公の書院を移した九間梁十三間の大厦(たいか)。 二天門・妙見社・鐘楼などがある。



本遠寺の歴史的な位置  『名古屋市史』地図「(一一)熱田神領字入図」の一部
e0170058_14315159.jpg


『名古屋市史』には次のようにある。
 京都本国寺の末寺。初め熱田神宮境内にあった法華堂は、阿福長者の建立、または最澄の建立ともいわれている。最澄はこの堂にて法華経百日の修行をなした。また、日蓮もこの堂で百日読経して立宗の祈願をおこなった。その後、九老僧の一人、本乗院日澄がこの堂を本堂として当寺を建立した。よって古来当寺を熱田法華堂本遠寺と呼んだ。
 寛永十九年十一月、孝詔院日慧が京都本国寺と本末の論争になり、これを藩主に訴えたが敗訴し、当寺を退山した。
 享保七年八月十四日の暴風雨以来、毎年八月十四日に水斉会(川施餓鬼)を修する。
 四代藩主吉通の御簾中(ごれんじゅう)瑞祥院が参詣して以来、葵丸御紋を許され、その後位牌を納めた。


『張州雑志』の山門二天の像と長柄橋柱
e0170058_19324695.jpg
作者は不詳

e0170058_1933546.jpg
伝来は不詳。什物ということだが、なぜ『張州雑志』はこれを取り上げたのだろうか。


現在の本遠寺    本遠寺の位置
e0170058_1522279.jpg

 『尾張名所図会』にある「京都本遠寺」は「京都本国寺」・「日證」は「日澄」の誤りか。また、『名古屋市史』にある水斉会(川施餓鬼)は現在でも9月14日に行われているようである。『張州雑志』には、この水斉会のことが割りと詳しく記されている。被害の状況や水斉会の当日、寺で読経した後、船に乗り水斉会も供養をして写経したものを川に沈め題目を唱えるとある。
 また、『熱田町旧記』には毎年七月七日に宝物の風入れを行うとある。
 旧法華堂、旧山門は国の重要文化財に指定されていたが、太平洋戦争で消失した。残った蟇股(かえるまた)鰐口(わにぐち)は、市の文化財に指定されている。
『熱田区誌』 『史跡 あつた』 『張州雑志』 『熱田町旧記』 本遠寺HPより
[PR]

by nitibotuM | 2012-05-05 15:43 | 尾張名所図会 | Comments(0)