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尾張名所図会を巡る

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2009年 03月 13日

加藤隼人延隆入道全朔(かとうはやと のぶたかにゅうどう ぜんさく)

『尾張名所図会』の加藤隼人延隆入道全朔
 加藤延隆は西加藤の祖でである。西加藤は図書(東加藤)より裕福であったが、福島正則との対立によって失脚し、その子孫は旗屋に居住している。加藤延隆の末孫と、加藤与三左衛門宗貞(延隆の養子、家勝の子供)の末孫も共に旗屋に居住する。また、加藤延隆の子、隼人景隆の子供は、隼人景延、伝蔵景好、彦宗景盛と男子が多く、その末孫も旗屋に居住する。西加藤は徳川家康の文書などを所持しており今に伝える。


西加藤(隼人佐、喜左衛門)      
延隆―資景―景延―宗弘―景次…  『尾張群書系図部集』・『名古屋市史』より
    L家勝(養子)―宗貞…



『名古屋市史』には次のようにある。
 西加藤の屋敷は初め大瀬子町にあって城ノ内と呼ばれていた。その後、東脇村(現在の伝馬1丁目)に移って、さらに寛文九年九月に旗屋町に移った。



歴史的な西加藤宅(加藤喜左衛門宅 地図は喜右エ門)の位置
加藤隼人延隆入道全朔(かとうはやと のぶたかにゅうどう ぜんさく)_e0170058_15133785.jpg



現在の西加藤宅    西加藤宅の位置
加藤隼人延隆入道全朔(かとうはやと のぶたかにゅうどう ぜんさく)_e0170058_1519518.jpg
 西加藤の屋敷跡と思われるところは、旧熱田区役所の場所である。しかし、この場所には現在、当時の西加藤の屋敷跡を思わせるようなものは残っていない。
 西加藤家は龍珠寺と喜見寺を建立している。



西加藤屋敷跡の前に残る二之鳥居跡
加藤隼人延隆入道全朔(かとうはやと のぶたかにゅうどう ぜんさく)_e0170058_1536672.jpg
 

by nitibotuM | 2009-03-13 15:39 | 尾張名所図会 | Comments(0)


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