『尾張名所図会』の姥堂
裁断橋の西の南側にあり、時宗の亀井山円福寺の末である。堂内に安阿弥作の奪衣婆(だつえば)の座像を安置している。奪衣婆とは、三途の川で亡者の衣服を剥ぎ取る老婆のことである。
また、『熱田旧記』に次のように記されている。永禄の頃、幸順僧都という僧が姥堂の横を流れる精進川を徒歩で渡ろうとしたが、水位が高く、過って溺死してしまった。それ故に、この川は僧都川と呼ばれるようになった。また、その当時、この川のほとりで貪欲な老婆がいて、先ほどの溺死した僧侶の衣類までも剥ぎ取ったといわれる。程なくして、老婆は亡くなったが、欲深い老婆なので、霊魂が夜になるとあたりを、さまよった。そこで縁類の者が、供養のために三途の川の姥像をここに安置したともいわれている。
姥堂の歴史的な位置 『名古屋市史』地図「(一一)熱田神領字入図」の一部
『名古屋市史』の姥堂
明治維新の前、一時、善立寺と言われた時期があった。本尊は木像八尺の奪衣婆座像。空海作、運慶作、安阿弥作などと言われている。
『張州雑志』の姥像
姥像は他にない大きい像で、すばらしい彫刻である。像の姿は、やせ細って筋骨があらわれている。
現在の姥堂
姥堂の位置
復元された姥像
戦災により当時の姥堂と裁断橋は消失している。現在は、上の写真の2階に姥堂があり、姥像が安置されている。この姥像は、案内板によると平成5年5月に復元されたとある。また、この姥像は、「おんばこさん」と呼ばれ、民間信仰の中で親しまれており、様相から奪衣婆と言われているが日本武尊の母か宮簀媛命だとする説もあると記されている。確かに、この姥像は両手に尊像を持っており、よく見られる奪衣婆とは違い、珍しい特徴なのではないだろうか。
現在、愛知県丹羽郡大口町には、裁断橋と共に姥堂が復元されている。(詳しくは
裁断橋を参照)
大口町に復元された姥堂
大口町の復元された姥堂の位置