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尾張名所図会を巡る

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2009年 02月 23日

伝馬町駅舎(てんままちえきしゃ)

『尾張名所図会』の伝馬町
 『延喜式』兵部省には記載がないが、『吾妻鏡』(『東鑑』)以降(鎌倉時代末期)には熱田に宿泊したとの記載が見られるようになる。伝馬町(その中でも今道(いまみち)と呼ばれた場所)は永禄の頃より人家が建ち、町並みとなった。伝馬町は東海道五十三次の中でも特に栄えているところである。

『名古屋市史』・『尾張志』・『張州雑志』・『尾張徇行記』の伝馬町
 伝馬町は昔、「宿」(現在の伝馬一丁目)と「今道」(現在の伝馬二丁目)に分かれていた。伝馬町の西側は古くから旅籠や問屋などが建ち栄え「宿」と呼ばれていた。伝馬町の東側は「今道」と呼ばれ、古くは葦が茂り人家は少なかったが永禄の頃より人家が多く建ち、町並みとなった。この今道ができたのはいつ頃なのか詳しくは分かっていない。また、今道が出来る前は違う道筋があったようである。この「宿」と「今道」を慶長年中より合わせて伝馬町とした。

伝馬町の歴史的な位置  『名古屋市史』地図「(一一)熱田神領字入図」の一部
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上知我麻神社(源太夫社)と伝馬町「宿」の賑わい   『尾張名所図会』前編四巻
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 高札場が上知我麻神社の脇にある。また、小さいが道標が見える。




「熱田宿」(「宮宿」(みやのしゅく))の概観           
 江戸からの距離88里35町7間(約360㎞)になる。また、天保14年(1843)には家数2924軒、人口10,342人、本陣2軒(神戸町と伝馬町)、脇本陣1軒(伝馬町)、旅籠屋は248軒を擁したという。
 本陣は勅使・院使・大名・旗本などが使用した宿舎である。神戸町にあった本陣は南部新五左衛門が務め、伝馬町にあった本陣は森田八郎右衛門が務めた。また、神戸町の本陣は「赤本陣」と呼ばれ、正本陣とされた。伝馬町の本陣は「白本陣」と呼ばれた。
 脇本陣は、本陣の予備として街道に設けられた宿舎で、本陣に空きのない時に利用された。また、熱田には 脇本陣格の旅籠が10数軒あり、「七里の渡し」の近くに今でも残る「伊勢久」(いせきゅう)はその1つである。   『熱田 歴史散歩』より


赤本陣    『小治田之真清水』(おわりだのましみず)二巻
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現在の伝馬町(旧東海道)
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 現在の伝馬1丁目で、旧東海道にあたる道である。昔は伝馬町の特に「宿」と呼ばれ古くから栄えた所である。また、下の道標がある地点は東海道と佐屋路(さやじ)・美濃路(みのじ)の分岐点であり、交通の要所であった。 撮影位置
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 上にある上知我麻神社(『尾張名所図会』)の絵と同様の方向から撮影。突き当たりに以前は上知我麻神社があった。(今はほうろく地蔵がある。)
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 この道標は当時と同じ位置に立っており、寛政二年(1790)のものである。また、道標には次のように刻まれている。 東面に「東  北 さやつしま 同 みのち 道」 西面に「西  東 江戸かいとう 北 なこやきそ道」 北面に「北  南 京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社弐丁 道」 南面には「寛政ニ庚戍年」と刻まれている。
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 この道標は宝暦八年(1758)のもので、現在は損傷が激しいが、上の道標とほぼ同様の文字が刻まれている。また、この道標は大正十二年(1923)に撤去されて、現在は30mほど東に移っているため、当時の位置にはない。上にある上知我麻神社(『尾張名所図会』)の絵にある道標はこの道標である。


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 現在の伝馬2丁目で、特に伝馬町の「今道」と呼ばれていたところである。 
 撮影位置




現在の赤本陣    赤本陣の位置
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 現在の伝馬1丁目より神戸町を望む。有名な蓬莱軒の裏が赤本陣跡。
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 赤本陣跡。




現在の白本陣(推定)   撮影場所
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 白本陣の位置は現在全く分からない状態になっている。天明四年の『熱田三ヶ浦町並之図』と明治三十六年の『熱田町実測図』などと現在の地図を比べると撮影位置よりやや南のところに白本陣があったように思われる。ただし、『尾張国町村絵図』を見ると東海道沿いに「本陣」とあるので、ほぼ写真の位置ということになる。いずれも詳細については不明であり、推定の域を脱しない。




現在の脇本陣格「伊勢久」    伊勢久の位置
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by nitibotuM | 2009-02-23 22:00 | 尾張名所図会 | Comments(0)


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