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尾張名所図会を巡る

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2009年 02月 22日

上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)

『尾張名所図会』の上知我麻神社    上知我麻神社の歴史的な位置
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 市場町伝馬町の西にある。源太夫社(げんだゆうしゃ)、また知恵の文殊とも言われる。『延喜式』には上知我麻神社、『本国帳』に正二位上知我麻名神とある。千我麻(ちかま)は郷名で、『和名抄』愛知郡(あいちのこおり)千竃(ちかま)とあるのはここにあたるか。もしくは現在の星崎(名古屋市南区)であるのか確かでない。祭神は小豊命(おとよのみこと  乎止与命)である。乎止与命は天火明命(あめのほあかりのみこと)よりはじまる尾張氏の十一世である。(乎止与命は宮簀媛(みやずひめ)の父である。詳しくは布曝女町を参照)
 境内には、大黒天祠(だいこくてんのほこら)があり、毎年正月五日に初市がある。ここで恵比須・大黒の摺絵(すりえ)を授かる。また、ここでは、お福餅、掛鮒(かけぶな)、苧(お 麻のこと)、葱(ねぎ)を売っている。これらは大黒を祝い福を祈る意味があり、御福迎(おふくむかえ)と呼ばれている。



『熱田町旧記』には次のようにある。
 大瀬古浦(おおぜこうら)の弥右衛門が御福餅と名付けて昔から売る。この御福餅を御殿の上に投げ揚げてから参拝する。また、麻、松、根深(ねぶか ネギのこと)を売る。根深は七日に粥に入れる。

源太夫社の初市    『尾張名所図会』前編四巻
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『和名抄』にみる愛知郡
 『和名抄』とは『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』のことで、930年代に成立した百科漢和辞書である。勤子内親王の求めに応じて源順(みなもとのしたごう)が編纂した。
 『和名抄』の中で愛知郡には次のような地名が記されている。中村、千竃(ちかま)、日部(くさかべ)、太毛(おおけ)、物部(もののべ)、熱田(あつた)、作良(さくら)、成海(なるみ)、駅家(うまや)、神戸(かんべ)である。しかし、それぞれ現在のどこの地域に推定されるのかは詳しく分かっていないが、簡単にそれぞれについて概観したい。
 中村の読みは「なかむら」で、現在の名古屋市中村区と思われる。
 千竃は、元和古活字本に「千電」とあるが、「千竃」の誤りであろう。千竃は『尾張名所図会』にもあるように正確な場所は分かっていないが、熱田の上知我麻神社のあるあたりに推定する説と、現在の名古屋市南区に推定する説がある。『尾張志』では「其地は星崎の庄 戸部 山崎 笠寺 本地 南牛毛 新井 七村なり」とあり、千竃を名古屋市南区あたりに推定し、『愛知郡誌』でもこれを採用している。現在でも南区に「千竃通」の名があり、名古屋市南区に千竃を推定するのであればこのあたりになるのであろうか。『尾張志』に「もとは本地村(名古屋市南区)あたりに坐けむを後此處に移し祭れるなるへし」とあるように上知我麻神社は千竃から熱田に移ったと思われる。また、上知我麻神社の北にある下知我麻神社(しもちかまじんじゃ)も同じく千竃から移ったようである。さらに『尾張志』では、この移った際に上知我麻神社が南、下知我麻神社は北に鎮座して、上下が逆になったのだろうとしている。また、名古屋市南区本星崎町の「星宮社」には、その境内に上知我麻神社と下知我麻神社が鎮座する。『尾張志』の記述にあるのは、この両社が熱田へと移ったのであろうか。

現在の千竃通
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星の宮    『尾張名所図会』前編五巻
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現在の星宮社
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星宮社境内の上知我麻神社(右)と下知我麻神社(左)
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 日部は、名古屋市西区や名古屋市天白区などの地域に推定する説があるが、何れも不確かで詳細は不明である。
 太毛は現在の名古屋市昭和区から名古屋市瑞穂区にかけての一帯に推定する説が有力ではあるが、詳細は不明である。『和名抄』にはないが、「大宅」(おおやけ)というのも「太毛」と音の類似から同一の可能性がある。
 物部は『延喜式』神名帳に愛知郡「物部神社」が記されているが、この神社が物部に存在したと思われる。現在、物部は名古屋市千種区・東区あたりに推定する説があるが、「物部神社」が名古屋市東区にあることを考えると、そのあたりが物部になるのであろうか。
 熱田は、『和名抄』の東急本・元和古活字本には「厚田」とある。熱田の正確な場所は不明であるが、熱田は現在の名古屋市熱田区の熱田神宮周辺とみて間違いないと思われる。「厚田」ともあるので他の地域に推定する説もあるが、『和名抄』の高山本には「熱田」とあり、「厚田」と同一であろう。そこからも他の地域に推定するのは無理があると思われる。
 作良については、万葉集の中に高市連黒人(たけちのむらじくろひと)の「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」という歌があり、この「桜」は「作良」と同じである。作良の地域について詳しくは不明であるが、名古屋市南区桜本町周辺は、「桜」とあるのでこの周辺が、作良であったと思われる。また、名古屋市南区桜本町は、現在全く海岸線は見えないが、古代の海岸線は現在とは違い南区桜本町の近くまできており、年魚市潟(あゆちがた)とよばれていたことからも、万葉集に詠まれた先ほどの歌にある「桜」は「作良」と同一であり、名古屋市南区桜本町あたりを指しているものといえる。

桜田の古覧    『尾張名所図会』前編五巻
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 成海は『和名抄』に「奈留美」の訓があり、現在の名古屋市緑区鳴海町あたりが、成海のことである。また、『尾張国熱田太神宮縁起』では宮簀媛の居住地(現在の氷上姉子神社)を「成海」としていることから、名古屋市緑区大高町あたりも「成海」に含まれる可能性もある。
 駅家は高山寺本にはなく、元和古活字本に「駅屋」とある。『延喜式』兵部省には尾張国駅伝馬と記し、馬津(うまづ)、新溝(にいみぞ)、両村(ふたむら)とある。このうち「駅家」は新溝駅と同一であると考えられている。ちなみに、馬津駅は現在の津島市、新溝駅は名古屋市中区古渡町、両村駅は豊明市沓掛町二村山付近にそれぞれ推定する説が有力である。
 神戸は高山寺本にはない。また、詳細は不明である。しかし、現在、名古屋市熱田区神戸町(ごうどちょう)があり、この周辺が『和名抄』の「神戸」なのであろうか。しかし、「熱田」と「神戸」の距離が近いことは気になる。

『和名類聚抄郡郷里駅名考証』 『尾張志』 『愛知郡誌』 『尾張名所図会』 『愛知県の地名』 『角川日本地名大辞典』 『尾張名所図会 絵解き散歩』より




現在の上知我麻神社    上知我麻神社の位置
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 正門の一の鳥居を左へ行くと東向きに鎮座する。すぐ北には八剣宮が鎮座する。祭神は乎止与命である。現在、上知我麻神社は熱田神宮の境内にあるが、以前は「ほうろく地蔵」(ほうろく地蔵の位置)がある場所にあった。しかし、昭和20年(1945)に上知我麻神社は戦災で消失し昭和24年(1949)に現在の位置へと移った。
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    大国主社(おおくにぬししゃ)大黒
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    事代主社(ことしろぬししゃ)恵比寿

by nitibotuM | 2009-02-22 18:03 | 尾張名所図会 | Comments(0)


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