尾張名所図会を巡る

nitibotu.exblog.jp
ブログトップ
2012年 11月 28日

円融山瀧之坊(えんゆうざんたきのぼう)

『尾張名所図会』の円融山瀧之坊
 堀内町にある。天台宗で野田の密蔵院の末。天文十二年(1543)に良温法印が愛知郡古井村より移し、織田備後守信秀を中興とする。信長公が幼年の頃、この寺で手習いをしていたことが伝えられている。『宗長手記』に「大永六年(1526)三月二十七日、熱田の宮社参宮めぐりしつるに、松風神さびて誠に神代おぼゆる社内。此御神は東海道の鎮護の神とかや。宮の家々くぎぬきまで汐の満干。鳴海 星崎 杜の木のま、木のま伊勢の海み渡され、こゝの眺望たが言のはもたるまじくなん。旅宿瀧の坊興行、筑前守織田来りあはれて

 ほとゝぎすまつのはしごしの遠干潟
   神官人所望に
 うす紅葉松にあつたがたの若葉哉」と見える。

その時の興行に宗長が用いた文台が、今この坊にあって名物となっている。

本尊 虚空蔵菩薩
寺宝 信長公所持の龍の硯 七ついろは巻物一軸 妙法院常胤法親王の御筆 涅槃蔵 兆殿司の筆。
 


歴史的な瀧之坊の位置
e0170058_1129521.jpg



『名古屋市史』には次のようにある。
 もと中正院といった。開基については詳しく分からないが、古井村(現在の千種)から今の地に移した。



『張州雑志』には次のようにある。

信長公朱章
e0170058_11493746.jpg


宗長文台(宗祇文台は誤伝)
e0170058_11494728.jpg
e0170058_11495825.jpg



現在の瀧之寺    瀧之寺の位置
e0170058_11575571.jpg
e0170058_11575849.jpg
e0170058_1158450.jpg
 瀧之寺は天台宗の寺院で、昭和四十六年(1971)に「瀧之坊」から「瀧之寺」へと寺号を改めた。『尾張名所図会』にもある信長公所持の龍の硯が現存しているようである。
 また、『熱田区誌』に「この寺は、大永・永禄年間(1521~70)、宗長、紹巴、宗牧らの連歌師による、いわゆる「滝ノ坊興行」で知られる。」とある。『尾張名所図会』や『張州雑志』などからも窺い知ることが出来るように、当時この熱田周辺は今では考えられないような文人たちを魅了する景観が広がっていたのであろう。そうした中で、当寺が中世の熱田における文化的拠点として機能していたと考えられる。
[PR]

by nitibotuM | 2012-11-28 12:13 | 尾張名所図会 | Comments(0)


<< 白鳥庭園のライトアップ      鳳来寺 >>