『尾張名所図会』の三狐神社
表大瀬古(おもておおせこ)にある。俗に平親王将門の霊を祭るという。
三狐神社の歴史的な位置 『尾張国町村絵図』「熱田」の一部
中央に小さなピンク色が二箇所並んでいる左側が「三狐神社」と推測。
大瀬子(古)の歴史的な位置
『名古屋市史』地図「(一〇)熱田三ヶ浦町並の図」の一部
三狐神社の位置は示されていない。
『名古屋市史』には次のようにある。
社宮司社(三狐神祠、社宮祠)の詳しい勧請の年月は分からない。明治30年頃村社に列する。祭神は高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、平親王将門の首、猿田彦命(さるたひこのみこと) などと言われている。俗に導引(みちびき)の神といい、諸願成就の時は、底のない柄杓を供える。今、社前に吊された柄杓がたくさんある。例祭は旧6月20日で、竜宮の画のある提灯の屋形11基を出す。古来、町の支配にあって、熱田神宮の末社ではない。
現在の三狐神社(社宮司社)
三狐神社(社宮司社)の位置
三狐神社(さごじのやしろ)は「しゃぐじしゃ」ともいい、現在は社宮司社(「しゃぐじしゃ」『名古屋市史』は「しゃくししゃ」)となって須賀町にある。読み方を見ても異説が多い。祭神に関しても混乱しているようで、いつしか、この社の所を流れていたという扇川に架かる
扇の橋(米かみ橋)の話と結びついて、平将門の怨霊を鎮める為の社という伝承になったのであろう。現在は、向かって右から軻具突智社(かぐつちしゃ)、社宮司社、天王社となっている。
ちなみに当社は昭和27年に現在の位置に遷座している。元の位置であるが、『尾張国町村絵図』と明治36年の『熱田築港図』と現在の地図を見てみると、下の
写真の位置のあたりだと思われる。歴史的な地名は、「表大瀬古の字西ノ地」になる。