『尾張名所図会』の興徳寺
須賀町にある。浄土真宗大谷派で、三河針崎の勝鬘寺の末。堂宇は大変美麗で、古渡の掛所(東別院)が出来る以前は、門主が東行の際はこの寺で止宿することもあった。
本尊は聖徳太子作の阿弥陀如来
什宝に親鸞聖人真筆の紺紙金泥(こんしこんでい)十字名号、蓮如上人の虎斑(とらふ)六字名号など数点
興徳寺の歴史的な位置
『名古屋市史』には次のようにある。
もとは愛知郡本願寺村にあって天台宗であった。天福元年(1233)住僧の順信が親鸞聖人に帰依して改宗した。後に牛立村に移り、そして、今の地に移った。(嘉吉年中に今の地に移って改宗したともある。)
時の住僧、恵順は俗名を佐久間大膳といった。明治維新後に東本願寺直末となった。岳順(明治19年寂)までは熱田大宮司から毎年年頭の挨拶があった。
『張州雑志』の初霜茶碗
現在の興徳寺
興徳寺の位置
現在、興徳寺は真宗大谷派の寺院である。『尾張名所図会』などの記載を見ると、当寺は東別院が出来るまで、この地方において真宗(大谷派)の重要な寺院であったといえる。また、『張州雑志』の初霜茶碗は徳川家名付けといわれ、当寺と縁のあった水野惣兵衛が寄付したそうである。この他にも什物があったようであるが、惜しくも戦災で焼失してしまったが、上記の初霜茶碗は現存しているようである。